火曜日 午後の部(2時50分〜4時20分)
■「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」 高坂史朗
『葉隠』の冒頭部分に掲げられたこの言葉は「生」を無前提に肯定している現代の生活に違背する考え方なのだろうか。宮本武蔵『五輪書』柳生宗矩『兵法家伝書』山本常朝『葉隠』などを読みながら江戸時代武士道が形成された意味を考える。さらにInazo Nitobe "Bushido, The Soul of Japan"が1900年にアメリカで出版されたことと、同書の中国語版が2007年に北京で再版されたことを対照させて現代的な意義を論じる。
水曜日 午後の部(2時50分〜4時20分)
■「『源氏物語』を原文で読む」 近藤百合子 
原文を声に出して読んでいきます。 音読することで、黙読では見過ごしがちな原作の息遣いやリズムを身体的に直接的に味わうことができます。時には登場人物に、時には作者になりきって、平安貴族の愛と苦悩の世界に遊びましょう。瑣末な文法や語釈にこだわらず、場面場面に関連するエピソードを他の古典作品から引用紹介しつつ、楽しく読みすすめます。「夕顔」から始める予定です。
木曜日 午後の部(2時50分〜4時20分)
■「現代詩の読み方と書き方」 以倉絋平
 まず、わかりやすくて、深くて、美しい現代詩の名作を鑑賞します。次に、それぞれの個性に応じた作品を書くことを通して、未知の自分に出会う歓びを体験できたらと思います。

水曜日 夜の部(6時半〜8時)
■「書物つくりを楽しむ 自分史を視野に入れて」 板倉正子
本の楽しみは、「読む」「書く」「作る」「直す」「収集する」など様々です。自分史を書く方や、自分の作品集を出版したいと考える人たちも増えてきています。本は身近な存在ですが、その実、本について、あまり詳しく知られていないのが実情です。本の形態や素材、出版、流通のしくみなど、本についての多くを知ることにより、本の楽しみをもっと広く、深めることを目的とします。@ 書物の成立ち、構造、素材などを学ぶ。A 書物の綴じや、形態について体験的に学習する。B 上梓の作法を学ぶC 自分史作りや自費出版の仕組みを知る。E 手作業の体験を通してその技術と知識を整理統合する。
木曜日 夜の部(6時半〜8時)
■「織田作之助と大阪」 佐藤秀明 
織田作之助は大阪に生まれ、大阪を描いた作家であり、そのことは動かしようがない。しかし私は、織田作之助を「大阪の織田作」と見る見方に違和感をもつのである。どこかに微妙なずれがある。それは、語り手と登場人物との間の、濃密な親和性に込められたずれなのかもしれないと、さしあたりは想像しているのだ。岩波文庫から織田作の短編集が出て、驚かれたが、これをテキストにして、織田作文学と大阪について語り合いたい。
金曜日 夜の部(6時半〜8時)
■「奄美大島を考える・奄美大島から考える」 清眞人
 柳田國男と折口信夫は沖縄・奄美の生活文化のなかに仏教渡来以前の原日本のアニミズム信仰と母権制的文化がいまも息づいていることを発見した衝撃のなかから、民俗学を確立していったのです。また奄美大島は、薩摩藩の類例をみないあたかも異民族に対する植民地的支配――黒糖モノカルチャー――を体験した稀有な地域で、このような過酷な体験に比肩できるのは北海道のアイヌ民族ぐらいでしょう。「妹の力の原郷としての奄美」・「祖霊信仰の原郷としての奄美」・「植民地支配体験の原郷としての奄美」の三テーマから出発して、奄美を鏡にして日本文化を映し出してみます。

土曜日特別講座
■「日本の市民社会」 堀田泉 鈴木伸太郎 
 「官から民へ」ということが現今の日本社会のキーワードになっているが、そもそも「官」に対置される「民」とは日本では何であったのか、また何であるべきなのか。企業や教育、地域の現場に目を配りながら、お互いに自立し、深く理解しあいながらともに社会を形成していく人間のありかたを探りたい。

寺子屋市民講演会 A-203教室 (無料)
4月10日
時代の<悲(カルナー)>を宿した芸術――良寛「毬つき唄」を中心に
講師 以倉絋平(詩人、H氏賞受賞者・元近畿大学文芸学部教授)
日本の現代詩は、言葉に淫して、こころを失い、一般の読書家から見放されてから久しいが、かつての詩の言葉は、どういう心から生まれていたのであろうか。良寛詩の、一見のどかな毬つき唄の材料にこの問題を考えてみたい。

4月17日
留学生とともに「日本の文化」を語る
講師 高坂史朗(元近畿大学教授・現大阪市立大学教授)と留学生諸氏

桜の花が咲き若葉が芽吹いてくると、私たちは新しい年度の始まりを感じます。でもどこの国でも桜が咲くのを心待ちにするのでしょうか。もちろんチェリー(cherry, Kirschbaum, cerisier)という言葉があるのですからヨーロッパでも桜は咲くのでしょう。しかし「花よ り明くる三芳野の春のあけぼの曙みわたせばもろこし人もこまびと高麗人もやまとごころ大和心になりぬべし」と頼山陽が詠んだように、中国人も韓国人も桜の花の下で心浮かれ、花見をしたりどんちゃん騒ぎをするのでしょうか。日本の文化は日本の自然(季節感)とともにあるといわれます。それはそうでしょ。ただ他の国は自然とともに生きていないのでしょうか。あるいは季節の変化に心ときめくことはないのでしょうか。そのことをヨーロッパやアジアの留学生たちと語り合いたいと思います。
近畿大学日本文化研究所
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